なぜ「噛み合わない」のか
1-1 人材は「能力」ではなく「行為様式」で評価されている
日本企業における中国人材活用は、すでに「人が足りないから採る」という段階を終えています。語学力があり、専門性もあり、意欲もある人材は十分に存在します。
それにもかかわらず、現場では今もなお、
- 優秀なはずなのに定着しない。
- 指示は理解するが、意図が伝わらない。
- 主体性を期待すると暴走し、抑えると萎縮する。
といった声が繰り返されています。
こうした問題はしばしば、語学力や性格、当人の資質に原因があるかのように語られがちです。しかし実際には、問題の多くは個人ではなく、能力が発揮される側の「構造」にあります。
企業は採用時、スキル、経験、学歴といった「能力」を重視して人材を評価します。ところが、職場で日々評価されているのは、能力そのものではなく、その能力がどのような振る舞いとして表れているか、どのような形で使われているかです。
日本企業では、慎重な意思決定、暗黙の合意形成、周囲との調整、場の空気を乱さない発言の仕方が高く評価されやすい傾向があります。一方、中国語圏の職場では、スピード、即断、明確な自己主張、成果への直結性が評価されやすい。どちらが良い悪いという話ではありません。重要なのは、評価される「行動の型」そのものが、社会ごとに違っているという点です。
たとえば同じ「主体性」という言葉でも、日本では「空気を読みながら適切に動く力」を指し、中国では「自分の判断で前に出て切り込む力」を指す場合が多い。この定義のズレが、そのまま評価のズレにつながります。
この前提が共有されないまま同じ制度の中に置かれれば、噛み合わないのは当然です。評価のズレは、やがて本人の自己評価のズレとなり、沈黙、消極性、そして離職へと静かに連なっていきます。
1-2 「即戦力」という言葉がズレを固定する
こうした構造的なズレを、最初につくり、さらに強く固定してしまう言葉が「即戦力」です。
即戦力とは本来、「既存の行為規範・評価制度・意思決定構造に、無説明でそのまま適合できる人材」を意味します。
しかし外国人材の採用とは、そもそも「異なる行為規範や前提を持つ人材を、意図的に組織に迎え入れること」です。この二つは、出発点の時点ですでに論理的な緊張関係にあります。
それにもかかわらず、多くの企業は無意識のうちに、
- 「新しい視点は欲しい」
- 「けれども、やり方は従来通りでいてほしい」
という二重の期待を同時に人材に背負わせてしまいます。
その結果、現場では奇妙な評価のねじれが生じます。発言すれば「空気が読めない」と言われ、控えれば「主体性がない」と言われる。どちらに振れても評価されにくい構造の中で、人材は次第に発言を控えるか、あるいは組織そのものから離れる選択を取るようになります。
ここで起きているのは、能力の問題ではなく、期待そのものの設計ミスです。
なぜ育てても機能しないのか
2-1 人材育成とは「同化」ではなく「制度翻訳」である
多くの企業研修は、ビジネスマナー、敬語、報連相、日本式コミュニケーションといった「型」を教えることに力を注いでいます。これらは確かに、社会で働くための基本ですし、決して不要なものではありません。
しかし、こうした型の教育だけでは、現場で人は本当の意味で機能しません。なぜなら、実務の現場で人の判断を動かしているのは、「型」そのものではなく、その型がどんな価値観や評価基準に支えられているのかという“前提”だからです。
多くの研修では、この前提がほとんど言語化されないまま、形だけが教えられます。その結果、人材は「正解の形」をなぞることはできても、「なぜその行動が評価されるのか」を理解できない。結果として、応用が利かず、指示待ちになり、自分の判断に自信を持てなくなっていきます。
NEO ACADEMY が行っているのは、こうした「同化型の育成」ではありません。私たちが行っているのは、制度翻訳型の育成です。
それは、日本企業が何を評価しているのか、中国語圏の人材が何を評価され慣れてきたのか。その両方を構造として可視化し、評価の前提条件そのものを相互に翻訳していく教育です。
型を押し付けるのではなく、「なぜこの組織ではこの行動が評価されるのか」を理解してもらう。ここが共有されて初めて、人材は現場で自分の判断を使い、力を発揮できるようになります。
2-2 人材は「労働力」ではなく「関係資本」である
会計上、人件費はコストとして処理されます。これは企業経営の制度上、避けられない扱いです。しかし実務の現場において、本当に価値を生み続けるのは人材が持ち込む「関係」です。
特に日中人材は、日本の組織、中国語圏の市場、両国の人的ネットワークを横断的につなぐ存在であり、そのネットワークそのものが価値の源泉になります。
にもかかわらず、多くの企業は「在籍期間中にどれだけ働いたか」だけで人材を評価してしまいます。これは、将来その人材の関係から生まれるかもしれない情報、信頼、ビジネス機会の多くを、最初から評価の外に置いてしまう発想です。
人は、移動し、離れ、再び別の形でつながり直す存在です。
人材の価値は「今ここにいるかどうか」だけで決まるものではなく、関係が続く限り、時間とともに更新され、増え続けていくものです。この視点を欠いた評価や育成は、結果として人材の価値を途中で止めてしまいます。
どうすれば噛み合うのか
3-1 NEO ACADEMY が担っている実務的役割
NEO ACADEMY は、語学学校でも、単なる就職斡旋機関でもありません。私たちが担っているのは、人材・組織・制度のあいだをつなぐ「翻訳装置」としての機能です。
人材側に対しては、スキルそのものを増やすだけでなく、「そのスキルがどの場で、どのように評価されるのか」を再設計する支援を行っています。能力の中身と、その使われ方を結び直す作業です。
一方、企業側に対しては、外国人材の存在を前提とした評価制度、育成モデル、役割設計の再構築を支援しています。
さらに、採用前、就職直後、定着期という各段階をばらばらに扱うのではなく、一本の時間軸としてつなぎ、伴走型で支援する。この「点ではなく、線で支える設計」が、噛み合わなさを構造から解消していきます。
3-2 日中人材活用は「採用」ではなく「設計」で決まる
日中人材が定着しない理由は、語学力不足でも、やる気不足でも、国民性の違いでもありません。ほとんどの場合、
「人材は配置したが、制度設計は変えていない」
この一点に行き着きます。
まとめ
人材活用とは本来、評価制度、権限設計、意思決定の流れ、育成モデルといった組織の根本的な設計の問題です。
ここを設計し直さない限り、どれほど優秀な人材を採用しても、噛み合わなさは必ず繰り返されます。
これからの日中人材活用に求められるのは、「どう使うか」という発想から、「どの構造に、どの関係性で組み込むか」という発想への転換です。
NEO ACADEMY は、日中人材を短期的な即戦力として消費するモデルではなく、関係資本として蓄積し続ける人材循環モデルの構築を、企業とともに支援しています。