会社情報Company Information

株式会社NEO ACADEMYの会社情報はこちらからご確認いただく事ができます。

  1. 代表あいさつ

    伝統を重んじ、新しく改革していく

  2. 会社概要

    株式会社NEO ACADEMYの会社概要

潤日(run ri)とは何か
中国中間層が静かに日本へ移り始める理由と、「親日/反日」の図式を超える生活戦略

北京の国際空港から羽田へ向かう午前便には、決まって似た風景がある。
スーツケースを押す親たち、学校のプリントを抱えた子ども、そして誰より静かな、“日本での生活を見据えた”視線。彼らの多くが SNS で口にする言葉が「潤日(run ri)」だ。漢字にすれば「日本で潤う」

だが意味はもっと広い。「日本で生き方を整え直したい」という含意を持つ。それは「親日」でも「反中」でもなく、単なる生活戦略である。この現象を理解するには、中国の中間層という社会階層の変容と、日本の生活文化がもつ“予測可能性”に目を向ける必要がある。

「親日/反日」では測れない。生活に根ざした理由がある

中国の親たちは率直だ。NEO ACADEMY では、移住前の面談で必ずこう聞く。
「なぜ日本なのか?」返ってくる答えは驚くほど似ている。

「政治ではなく、生活の安定を求めているだけです。」
「日本は“分かりやすい国”です。ルールが守られ、予測ができます。」
「子どもが静かに学べる環境が欲しい。」

そこに“親日”という感情は登場しない。彼らは、国家イメージではなく、生活機能を評価している。

 “納税と生活環境の交換”という中国都市中産の合理性

中国の都市部では、税金の捉え方が日本とやや異なる。税金とは「生活を買う行為」であり、「未来の安定を購入する契約」である。

上海で外資系に勤める父親は言った。
「日本で税金を払うのは問題ではない。その代わり、安全と教育をきちんと提供してくれれば、それで十分です。」

北京の医師はこうも語った。
「中国の税金は高い。でも、教育も医療も“追加料金”が必要です。日本では基盤の部分がセットになっていると感じます。」

彼らの日本生活はシンプルだが、安定している。“日常が揺れない”ことへの満足度は高い。
中国語ではこう言う。「有安全感(安心感がある)」。run ri の中心にあるのは、この“安心感の購買”である。

どの階層が run ri を選ぶのか —データと実態

run ri は「誰でも選べる」移動ではない。移動するのは、明確に中間層以上の家庭だ。
上海・北京・広州・深セン。
いずれも GDP の高い沿岸都市で、run ri を選ぶ家庭の年間可処分所得は平均 40〜80万元(約 800〜1600万円)と言われる。NEO ACADEMY で実際に接する家庭もほぼ以下の層に属する。

  • 外資系管理職(年収レンジ 60〜120万元)
  • IT・医療・金融の専門職
  • 中国国内に企業を持つ起業家
  • 国際大学出身のミドルキャリア
  • 香港・台湾経由で資産を保有する家庭

要するに、生活基盤が安定している層が run ri を選ぶ。経済的移民ではなく、「選択できる側」の移動である。

run ri は「逃避」ではない。“横移動の再配置”である

日本で run ri が誤解される理由のひとつが、「中国から逃げてくる」というイメージだ。だが現実には真逆だ。
外資勤務の母親は、こう説明してくれた。
「中国のキャリアは続けます。日本は“生活の場所”として使います。逃げるのではなく、分けているだけです。」

run ri の家庭の多くは、こうしたデュアルライフを送る。
中国で稼ぎ、日本で育てる。
中国で働き、日本で休む。
中国で競争し、日本で自分を戻す。
それは“下から上”の移動ではなく、生活の横方向への配置換えである。これを理解しない限り、run ri の本質には触れられない。

コンフォートゾーンから離脱して分かること

中国都市部は便利だ。アプリひとつで家事代行も病院予約も完結し、支払いはすべてスマホ、配送は最短30分。
だが、深センで働く母親はこう語った。
「便利すぎて、気づけば自分の生活リズムまで高速化してしまう。子どもがゆっくり成長する“余白”がなくなっていきました。」

run ri は、この生活スピードから一度降りる行為でもある。便利さを捨てるのではなく、便利さを基準にしない暮らしに切り替えるのだ。日本に来た彼らがまず驚くのは、想像以上の「静けさ」だ。電車の車内、学校の廊下、放課後の公園。“無音”を選べる社会に、彼らは安堵の表情を浮かべる。これは run ri を決定づける、非常に重要な要素である。

子どもをめぐる文化的ギャップの細部

run ri を選ぶ最大の理由は、多くの場合「子ども」だ。
だが子どもは、大人が想像する以上に文化の違いを敏感に受け取る。中国の学校では、学習は速度と量で管理される。日本では、理解と自律が優先される。この落差に戸惑う子どもは少なくない。

ある中学生はこう言った。
「中国では“速さ”。日本では“考える時間”。どちらが正しいのか分からなくなる。」

しかし、この迷いこそが run ri 家庭の“教育投資”でもある。二つの文化を跨いで育つ子どもは、やがて自分の言語・文化を“翻訳”して生きる力を身につける。これこそが、親たちが run ri を選ぶ最大の動機と言っていい。

世界は、国籍ではなく「生活単位」で選ばれる時代になった

run ri の広がりは、“国家への帰属”より“生活の質”を優先する時代になった証拠である。国籍はひとつでも、生き方はひとつである必要はない。家族は、生活の重心を自由に選べる。

中国は働く場所、日本は育てる場所。
中国は競争、日本は回復。
中国はスピード、日本は安定。

これらは対立ではなく、役割分担だ。run ri の背景にあるのは、「生活の選択権を取り戻す」という極めて現代的な意志である。

NEO ACADEMY が担うもの

NEO ACADEMY は、この流れのただ中で、多文化の子どもたちを支えてきた。run ri 家庭の子どもは、文化の間で揺れやすい。その揺れを受け止め、整理し、未来に向けて言語化する場所が必要だ。

私たちは、日本語・国語・英語という学力の骨組みを整え、家庭と学校の文化的ギャップを翻訳し、子どもたちが二つの文化を跨いで生きていくための“第三の居場所”をつくる。run ri は一過性のブームではない。社会構造の変化と、家族の願いが偶然ではなく必然として交差した結果である。

NEO ACADEMY は、その変化の真ん中で、子どもたちの未来を支える伴走者であり続けたい。